平成28年10月11日(火)長野県高山村の高井寺本堂にて、東京都文京区M様 愛知県豊橋市O様茨城県牛久市N様からお預かりしました、ご遺品や仏像・お位牌などの感謝の法要をお勤めしました。
茨城県牛久市N様からお預かりしましたご遺影です。
愛知県豊橋市O様からお預かりしました仏像やお位牌です。
東京都文京区M様からお預かりしましたご遺品です。
内陣にお飾りしまして感謝の法要をお勤めしました。
※当日一人でしたので、法要中の写真が撮れませんでした。申し訳ございません。
法要終了後、お焚き上げ出来るものと出来ないものに分別させていただきまして、
出来るものについては、境内の焼却場に移動しまして、お焚き上げをいたしました。
ガラス、せともの、金属、カセットテープなどお焚き上げ出来ないものについては、後日、適切に処分させていただきますので、ご安心ください。
四十九日でお引き取りしました白木のお位牌とともに、お焚き上げいたします。
浄土真宗の葬儀においては、『導師は「亡くなった方」である』とよく言われます。
そして必ず親鸞聖人の書かれた以下の和讃を拝読し、故人を讃嘆します。
本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
人は皆、それぞれのご縁の中で、それぞれの分野で、
なすべきことに取り組み、成功する方もいれば失敗する方もいる・・・。
そして長生きをする方もいれば、幼くして亡くなってしまう方もいる・・・。
また、家族に看取られて亡くなる方もいれば、孤独に亡くなっていく方もいる・・・。
しかしながら、どんな生き方であろうが、またどんな亡くなり方であろうが、
等しく、お浄土へと還らせていただく・・・。
そしてそれは今生きている私達も同様、どんな人生を送ろうが、どんな死に様だろうが、
いつの日か縁が尽きた時、お浄土へと還らせていただく身です。
葬儀は身近な人の「死」に出会う場です。
葬儀は人の「生死(しょうじ)」に出会う場です。
葬儀は、この真理に出会う機会です。
この真理(諸行無常の理)は、故人が自らの身をもって、自らのいのちをもって、私達にお諭しくださった大切な教えです。
この機会に出会うことが、「本願力にあひぬれば」ということでもあります。
故人は、『自分が生きることの出来なかった「今日」というこの「一日」をしっかり生きて欲しい』、と願われていることでしょう。
その願いを受け止め、そして、「生死(しょうじ)」を受け止め、受入れていく生き方は、決してむなしいものとはならないはずです。
寒くなって参りました。
どうぞお身体ご自愛ください。
南無阿弥陀仏
合掌